中国訪問記
(共産党の第16回大会の真っ只中、2002年11月10日から13日まで、
中国・北京のへ行って参りました!
これは、中国知識産権会と中国特許庁等の訪問記です。)
H15.1.27追記:この“中国体験記”の頁を立ち上げた直後のことです。
訪中の同行者であり
会社員時代の上司でもあるA氏が
突然帰らぬ人となりました。
ほんの10日ほど前には
中国特許庁で団長として立派な挨拶をして下さり
一緒に北京ダックを食べたりしていたのに・・・。
メールで“中国食べ歩記“
を送って下さったばかりだったのに・・・。
氏の写真を掲載したこのHP。
アクセスするのを楽しみにされていた矢先の急逝で
結局見て頂くことはできませんでした。
下記の写真のうち、足坪マッサージの写真は
先日、同氏の娘さんが遺品の中からみつけて送って下さったものです。
私が、弁理士受験を始めるきっかけの一つを作って下さった
大切な上司の一人でした。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
初めに
中国では、公衆電話が普及する前に、携帯電話が爆発的に広がってしまった。
街で公衆電話をかけたくとも、殆どみつからない。
私自身は、携帯電話を持つようになったのは決して早いほうではなかった。
始めたのは、難しい説明などなくとも複雑な機能が使いこなせる
・・・というありがたい時代であり、中国同様、一足飛びである。
但し、いざと言うときの対処方法が全くわからないという不安があるのは確かである。
中国では、携帯電話だけでなく、法律の世界でも、一足飛びに進歩しており
場合によっては、日本よりも先進的な意見を採り入れているらしく
今やハードや規定の面では、最先端と言っても過言ではない。
ただ、(条文はここ数年でそれなりに改正の歴史を踏んではいるが)
実務的には一足飛びであるため
一般の人と知的財産の専門家の間に
ものすごく知識レベルのずれが生じているような気がしてならない。
最近の審査官は、若くて優秀な人が揃っており
こちらが下手な質問をすると、逆にこちらが質問攻めに遭うと聞く。
ただ、それは、ごくごく一部のエリートのかたの話であって
最近まで(特に商標では)“法律あっても権利なし”のごとき無法状態であったところから
一足飛びに最新の制度を揃えても、
一般の事業者にどこまで浸透しているのであろうか。
出発前には、このような危惧を漠然と抱いていたが
今回、知識産権研究会というところ(日本の発明協会等に相当?)にも訪れる機会を得
そこでのディスカッションの中で、
当団体が、企業等の知識産権(知的財産権)教育にも、非常に関心を持っており
“企業内での知的財産管理実務の歴史が深い日本企業を訪問して、勉強する予定である” と伺い
安心すると同時に誇らしく感じた。
(私も、企業の知的財産部門に13年勤務しており
特に、教育プロジェクトを頑張ってきたからである。)
彼らは、私たちが訪中した次の週に日本に訪問予定とのことで
おそらく、このHPを書いている今頃、日本のどこかを回っている筈である。
日本で何をみてどう感じられるのかは分からないが、
携帯電話を持たない人が、道ばたで困らないよう
うまく指導して上げて欲しいと思う。
今や中国には、公衆電話は、殆ど存在しないのだから。