その壱:あなたが、私に不満でも・・・

2002/09/01  知財部の想い出 

平成とともに始まった私の社会人生活。
新卒のまま、希望した知財部へ配属。

今でこそ、新卒の知財採用は珍しくもないが、
本来、知財部とは、社内で、技術畑もしくは法律畑を歩み、
数々の「現場経験」をしてから後に配属される部署である。

大学時代の不勉強もあって、
基本的なことを質問して、恥をかくこともしばしば。
それに加えて、私の勤務していた企業は、多角経営の走りである。
とにかく、色々な事業を行っていたので、
担当が変わると、一から勉強・・・・の繰り返しである。
何度も、同じ説明をさせられる発明者の方は、
さぞやうんざりだったであろう。

「女の子かぁ・・・」
「大学は出てるらしいけど、ほんまかいな。」
「顔は、阿呆そうやなぁ・・・。」
「現場のこと、何もわかっちゃぁいないくせになぁ・・・」
・・・口に出さなくとも、目が語っている。

それでも、ちっとも辞めようとは思わなかった。
特許の仕事が大好きだったからだ。

私は、学生時代、実験が下手くそだった。
実験ではなく、器具の破壊に過ぎなかった。
(入社試験で、卒論研究について、
”何故、このA物質にB物質を結合することを選択したのか?”
と面接官に問われ、
”指導教官(院生)がそうしろと・・・”
と危うく本音で答えそうになった私である。)

特許の仕事の醍醐味は、
自分には絶対にできない素晴らしい発明を、
世界に先駆けて、特許庁の人よりも早く、
技術者直々に、教えて貰えることである。

そして、それが特許になって、儲けたりすると、
(ほんの一部だが)自分もその一旦を担った!
という良い気分にもなれる、美味しい仕事なのである。

さらに加えて、
地位の高い役員のかたや、優秀な技術者でも、
特許のことはお手上げで・・・と仰るかたは多い。

彼らに、「新規性って言うのはですねぇ・・・」
などと、教えるときの陶酔感・・・・。

これは、球技大会のヒーローが、
水泳大会に限っては、
私のはるか後ろを泳いでいる
・・・と知ったときの気分にも似ている。
(私は、背泳選手だったので、後ろが良く見えるのである!?)

とは言え、畑違いの分野を担当する時は、
さすがの私も、ちょっぴり憂鬱である。
せっかく一生懸命勉強して、
漸く発明者と対等に議論できるようになってきたかなぁ・・・
と思った頃に担当替えがあった時などは、尚更だ。

それでも、担当が変わったばかりというのを良いことに、
”わっかりませ~ん!”と甘えて教えを請えるのは、
逆に幸せだったとも思う。
(自他共に認める専門分野だと、却って質問できないらしい。)

こうして、 相手の迷惑、何のその、
仕事を干されない限り、
私はやるわよっ!!!どこまでも!!!

・・・開き直りにも似た境地である。

周りは困っていたかもしれないが、
私自身は、やりたい放題させて頂いた。
本当に幸福な13年間だった。

この度の退職・開業に際し、
快く送り出して下さったことに、
本当に感謝している。

でも・・・・・・・。

実はみんな、私がいなくなって
万歳三唱していたのでは ないかしら・・・・。
企業内知財部の想い出


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