その壱:あなたが、私に不満でも・・・
平成とともに始まった私の社会人生活。
新卒のまま、希望した知財部へ配属。
今でこそ、新卒の知財採用は珍しくもないが、
本来、知財部とは、社内で、技術畑もしくは法律畑を歩み、
数々の「現場経験」をしてから後に配属される部署である。
大学時代の不勉強もあって、
基本的なことを質問して、恥をかくこともしばしば。
それに加えて、私の勤務していた企業は、多角経営の走りである。
とにかく、色々な事業を行っていたので、
担当が変わると、一から勉強・・・・の繰り返しである。
何度も、同じ説明をさせられる発明者の方は、
さぞやうんざりだったであろう。
「女の子かぁ・・・」
「大学は出てるらしいけど、ほんまかいな。」
「顔は、阿呆そうやなぁ・・・。」
「現場のこと、何もわかっちゃぁいないくせになぁ・・・」
・・・口に出さなくとも、目が語っている。
それでも、ちっとも辞めようとは思わなかった。
特許の仕事が大好きだったからだ。
私は、学生時代、実験が下手くそだった。
実験ではなく、器具の破壊に過ぎなかった。
(入社試験で、卒論研究について、
”何故、このA物質にB物質を結合することを選択したのか?”
と面接官に問われ、
”指導教官(院生)がそうしろと・・・”
と危うく本音で答えそうになった私である。)
特許の仕事の醍醐味は、
自分には絶対にできない素晴らしい発明を、
世界に先駆けて、特許庁の人よりも早く、
技術者直々に、教えて貰えることである。
そして、それが特許になって、儲けたりすると、
(ほんの一部だが)自分もその一旦を担った!
という良い気分にもなれる、美味しい仕事なのである。
さらに加えて、
地位の高い役員のかたや、優秀な技術者でも、
特許のことはお手上げで・・・と仰るかたは多い。
彼らに、「新規性って言うのはですねぇ・・・」
などと、教えるときの陶酔感・・・・。
これは、球技大会のヒーローが、
水泳大会に限っては、
私のはるか後ろを泳いでいる
・・・と知ったときの気分にも似ている。
(私は、背泳選手だったので、後ろが良く見えるのである!?)
とは言え、畑違いの分野を担当する時は、
さすがの私も、ちょっぴり憂鬱である。
せっかく一生懸命勉強して、
漸く発明者と対等に議論できるようになってきたかなぁ・・・
と思った頃に担当替えがあった時などは、尚更だ。
それでも、担当が変わったばかりというのを良いことに、
”わっかりませ~ん!”と甘えて教えを請えるのは、
逆に幸せだったとも思う。
(自他共に認める専門分野だと、却って質問できないらしい。)
こうして、 相手の迷惑、何のその、
仕事を干されない限り、
私はやるわよっ!!!どこまでも!!!
・・・開き直りにも似た境地である。
周りは困っていたかもしれないが、
私自身は、やりたい放題させて頂いた。
本当に幸福な13年間だった。
この度の退職・開業に際し、
快く送り出して下さったことに、
本当に感謝している。
でも・・・・・・・。
実はみんな、私がいなくなって
万歳三唱していたのでは ないかしら・・・・。