特許のいらない世界
素晴らしい技術を、特定の者に独占させる特許は、
商売をやりにくくする!けしからん!
技術の進歩を阻害する!とんでもない!
・・・なぁんていう意見がある。
平成元年 春。
新卒採用で、工業所有権センター(*注1)に配属された。
入社前の想像とは、かなり違った点もあったが
“この仕事って自分の性格に合っているのでは?”
という直感は正しかったようで
お蔭様で“特許この道28年目”となる。
しかし、入社してしばらくして
ある疑問にぶち当たった。
私の仕事って・・・・・
本来、無いほうが良い仕事なのでは??????
特許など無くても
皆が
譲り合い,尊重し合い,切磋琢磨し合い
仲良く技術を進歩させ
互いに自由に商売出来る。
もしこれが理想の世の中なら
特許の仕事なんて、必要無くなるってことでは!?
運良く、新入社員で巡り合えた
『天職』
(・・・と自分では思っているが
周りがどう思っているかは不明。)
それなのに、無いほうが良い仕事ってどうよ!?
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高校生の頃は、まだ具体的に将来の事を考えていなかった。
修学旅行中の夜の船内。
(余談:全日程ともフェリー泊。
という前代未聞のハードな旅行。
あまりの不評ぶりに試行一年で廃止に・・・)
医者や弁護士になる夢を語る友人達に比べると
何にも考えていないことが発覚。
一方、小さい頃から
趣味でエレクトーン(Y社・登録商標)を習っていた私。
当時はまだ講師資格を得られる級にも達していなかったが
一応、つぶやいてみた。
芸術は皆に感動を与える立派な仕事だよ!
と言われて、ちょっぴり嬉しかった。
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特許の仕事は、本来、無くても良いのかもしれない。
命を救ったり
芸術のように人々に感動を与えるものでも無い。
けれども、思った。
本当は無くて良い(無い方が良い?)のかもしれないが
少なくとも、今
目の前に必要とされている仕事がある。
その仕事が、自分の性に合っており
それを頑張るコトで
誰かが喜んでくれる。
なら、それで十分じゃぁないか!?
いつか、必要とされなくなったときには
(それはそれで悲しいけど)
素敵な世の中になっているって事だし。
だったら、少なくとも
必要とされている間、目一杯誰かの役に立とう。
技術そのものや芸術のように
自分では何か新しいモノは作り出せない。
けれど、少なくとも
一緒に仕事をした人に
一緒に仕事をしている間
何らかの感動を与えられれば良いな。
終わった後に
また一緒に仕事したい!
と思って貰えれば良いな。
私が、頼まれもしないのに
『知財紙芝居(TOMO’s登録商標)』
で説明したりする理由は
こういうところにある。
(1時間の説明に
少なくとも3~4時間準備が必要なんだけど(;^_^A)
*注1:平成元年の入社当時は、「知的財産権」という言葉が
まだ日本では浸透していなかった。
余談であるが
新入社員が、電話を取る際
「ありがとうございます!
●●●●(社名)
工業所、有権センターで御座います!!」
と言ってしまうのは、
丸型の代表社印を「特許願」に捺印する際
(注:電子出願では無かった、紙出願の時代)
印鑑のフタを取らずに押してしまう
いわゆる“日の丸事件”
と共に、春の風物詩であった。
*誤「工業所」「有権センター」
*正「工業」「所有権センター」